プロフィール

リストラ役の私はリストラされました。

会社員生活30年目を迎えるその年に、勤めていた会社の業績が悪化し45歳以上の人対象に希望退職が発表されました。 私は当時、人事企画室で人事制度や社員の能力開発の研修企画等の仕事をしており、この制度が発表される半年前からその準備の仕事に関わっていました。 リストラ対象とする部署、人数、希望退職のオプション内容、募集から締切までのスケジュールなどなど… 社内外に漏らしてはならない情報を扱い、水面下で進めていく仕事です。 創りあげていくものは、リストラ対象とする部署、対象者、人員削減効果としてあがる数字。 このプロジェクトの成功は予定どおりの人員削減をすることなのです。 半年間は、人としての感情をおさえ、淡々と課せられた仕事を続けていくしかなく、喜怒哀楽の感覚が無いロボットのような自分でした。 目標の削減数が数千人という規模でしたから、会社から対象者として適切な人をリストアップし、面談を行いながら退職に合意してもらる事も必要です。面談を行うのはリストラ対象となる部署の管理職です。ほとんどが部下をリストラする経験をした事はありません。 トラブルとならないよう、細やかな心遣いを持った面談をしなければならない。 そのコツを指南するトレーニングも行いました。 希望退職制度発表から、募集締め切りの1か月間、少し休んで良いよ。と1週間ほど休暇をいただき、復帰したその日、人事部も削減対象部署と知らされ、私も面談に呼ばれます。 「君のキャリアは社外でも生かせるはずだから、違うステージで頑張ってみるという考えをもってみないか?」 頭の後ろを棒で殴られたような衝撃から、戦力外通告を受けたショックで長い時間、反応する事ができませんでした。不思議と怒りを覚えるどころか、現実として受け止めるまでに数日かかったかと思います。その間どのように生きていたのか記憶がありません。 徐々に気持ちが安らかになり、ここ半年の激務を終えるとともに、自分らしい生き方をする事を考える時間を神様が与えてくださったんだ。 これをきっかけに私は仕事ファーストで生きてきた人生から自分ファーストへ。 日々の暮らしの大切さ。こころのもちようや、からだへの気配り。自分と向き合う時間が増えていきました。そして、私はこの会社を去る事を決意しました。

退職してからの私

自分に正直に、好きなことをして、無理をしない生活。 それこそが、生きることにとっていちばん大切だと気付かされた私。 「これまで我慢してやれなかった事をめいっぱいやって楽しむぞ!」 同情のまなざしで、気遣う言葉をかけてくれる周囲の人たちには、神様からのギフトを受けたかのようにふるまっていました。 ところが、四捨五入すれば50の女には厳しい現実が待ち受けていました。 採用してくれる会社が本当にない。 結果が得られない就活で自信喪失。 社会に必要とされていないような気持ちで引きこもりの時間が増えてしまい このままでは枯れ果ててしまうと思い、食べていくための仕事探しをし、パートさんといわれる仕事で食いつないでいました。 想像もしなかった孤独な闘いが始まりました。。。 このブログでは、そのような経験を通して様々な仕事とめぐりあい、そこで出会った人との関わりあいを通して、「旅をするように働く事」といった感覚が芽生えました。 そこにたどり着くまでは相当時間がかかりました。 自分にとって仕事って何?働く事って何?を考えてもらえるきっかけとなってほしいという思いでブログを立ち上げました。]]>

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