こんにちは! YUIです。
リストラ企画担当からリストラされる人となった私の体験談を中心に様々な事をお伝えしたいと思います。
休暇明けに起こった事
希望退職が発表された後に「お疲れ様。募集締め切りの1か月間の間、少し体を休めたほうが良いよ。」と上司の勧めもあり1週間休暇をとり、北海道のリゾートホテルで死ぬほど眠りました。
休暇明け早々、沈んだ表情の同僚から「うちの部署まるごと空中分解するらしいです。」「え?どういう事?」始業開始まもなくの9時15分頃、いつもは朝会が始まる時刻ですが、から、「ちょっと話があるんだけれど、大丈夫かな?」と呼ばれました。
突然始まった面談
その時私はすでに、上司から発せられる言葉は予想できました。会議室に入るドアを開けたすぐ前、下座に人事総務本部長・部長が座り、面談が始まりました。
そして予想どおり人事部のリストラを行う事が決定され、一定の年齢以上の部門社員に希望退職制度の条件を伝える面談を行っている。今回は私もその対象者なので、しっかりと聞いて欲しい。との事。目の前には個別の希望退職を応募した時の退職金の総額と、自己都合退職との金額の比較と、その他 今決断するメリットを明確に記載された条件明示票を提示されました。
無駄な抵抗かとも思ったのですが、「49歳の私が採ってくる会社があると思えない。私は独身で、マンションのローンもある。残る選択はあるんですか?」「君のスキル・経験は他の企業でも生かせるはずだし、残る選択をしたとしての人事部に残って仕事をしてもらう
事はできないし、どんな仕事に就いてもらうかは今話す事ができない。」と言われました。
はい、トレーニングのマニュアルどおりの面談トークでした。
今、懸命に部下へ退職勧奨をしている他の部署の管理職の中にもそのミッションの終焉を迎える頃、役員から勧奨面談をうける事になるシナリオも出来上がっています。
事実と向き合わなければならない。
プロフィールも書いたように、私はリストラを実施する側の立場で約半年間、コンサル会社と共に来るべくXーDAYに向け準備を進めておりました。慰留したい人材を「A人材」退職勧奨対象社員を「C人材」と呼び、その間の「B人材」は本人の希望を考慮するといったかたちで進めていきます。まずは残留して欲しい社員を優先に制度発表直前からに面談を行い、慰留面談を行います。 同時並行で退職勧奨面談を行っていくので、社員一律に面談を受ける事となります。少なくとも1か月前には私は「C人材」として名前が挙がってたのです。
コーポレート部門といわれる「人事・総務・経理」部門はいわゆるコストセンターと呼ばれ、売り上げを立てれない部門とみなされ、当然の事ながら、全社員に納得感を得る為にリストラを行う必要がある訳です。同期入社の仲間も3日前に通告されたとの事。小学生の子供二人もいるので深刻に悩んでいました。
面談を受けて帰ってこられた表情からどんな内容であったのか推測できるかと思われるかもしれないのですが、残るのも地獄、去るのも地獄です。誰もが暗い表情で帰ってきます。
怒るパワーもなく提示された条件明示書を持ち帰ってじっくり考えさせてほしい。と伝え、約15分間の面談は終了しました。誰もが1回目の面談はこんな感じです。その後2日から3日に1度、直属の上司を進捗確認面談が15分程度を目処に行われます。
とにかく、細切れに相手を理解するように面談を行う事が大切だからです。
自宅に帰り、半年分の退職金上増しと会社都合による退職。再就職支援サービスを3社から選択ができる。。。などなど自分で作ったパッケージだからよくわかっている内容を記載した文字を眺めていました。
50歳を目前に就活をするってどれだけ大変な事なのか。。。容易に想像できました。自分の市場価値がどれだけのものなんだろう。。。?わからない事だらけで考えれば考えるほど不安になる一方です。必要とされる人材扱いとしない今の会社に残る選択は全くなかったのですが、孤独な就活をするより第三者に相談に乗ってもらえる再就職支援サービスを利用しながら、就活にチャレンジしてみる決意をしました。会社に希望退職制度に応募する申込書には、利用する再就職支援サービス会社を記載する欄があるので、各社訪問してみる事にしました。他の部署では、退職も慰留も強く反発する社員のいて、炎上している部署のいると聞きました。
次のコラムには再就職支援サービスとはどんなものかをお伝えしたいと思います。
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